2006年02月09日

伝道者の言葉2

私は思った。
「欲望を満足させてみよう。快楽を追求してみよう。」
しかし、これもまた本当にむなしいことだった。
笑い。ばからしいことだ。
快楽。それがいったい何になるだろう。

私は心では何でも知恵によって見ようとするらしい。
しかしこの太陽の下に生きる短い一生の間、
何をしたら人間は幸福になるのかを見極めるまで、
酒で肉体を刺激して愚行に身を任せてみようと考えた。

事業を拡大して邸宅を建て、農場を設けた。
庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。
木の茂った森を潤すために池も造った。

男女多くの使用人を召し抱え、
かつてこの地に住んだだれよりも多くの財産を得た。
金銀を蓄え、国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れ、
専属の歌い手を抱え、
人間の快楽である愛人も手に入れた。

私はかつてないほどの権力・富・名声を得た。
しかも、私の知恵は私から離れなかった。
私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、
心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。

そう、私の心はどんな苦労も惜しまなかった。
これらは私のすべての骨折りによって得た私の分け前だ。

しかし私は手がけたあらゆる事業と、
そのために私が骨折った苦労とを振り返って考えてみた。
ああ、すべてはむなしい。
それは風を追うようなものだった。
日の下には何一つ益になるものはないのだ。

私は知恵と、狂気と、愚かさについて考えた。
私の後を継いだ者は、
すでになされた事を繰り返すだけではないのか。

光がやみにまさっているように、
知恵は愚かさにまさると私は知った。
知恵ある者はその頭に目があるが、
愚かな者はやみの中を歩く。

しかし、みな同じ結末に行き着くということも、
私は知ってしまった。

私は思った。
「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、
知恵は一体何になるのだ。
なんとむなしいことか。」と。

知恵ある者も愚かな者も、
いつまでも記憶されることはない。
日がたつと、いっさいは忘れられてしまう。
知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる。

私は生きていることを憎んだ。
世の中で起こることの何もかもが私を苦しめる。
すべてがむなしく、風を追うようなものだから。
私が骨折って築き上げたこの結果を、わたしはすべて厭う。
それは後を継ぐ者に残すだけなのだから。

後継者が知恵ある者であるか
愚か者であるか、誰にわかるだろう。
どちらにしても、いのちあるうちに
私が知力を尽くし、苦労した結果を
支配するのは彼なのだ。
なんとむなしいことだろう。

今まで苦労してきたことのすべてに、
わたしの心は絶望した。
どれほど知恵と知識と才能を尽くして労苦したとしても、
その結果をまったく労苦しなかった者に
遺産として与えなければならないのだろうか。
なんというむなしさ。なんという不幸だろう。

全く、人間がこの世で心の苦しみに耐え、
労苦して何になろう。その一生は悲しみであり、
その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。
実にむなしいことだ。

人間にとって良いことは、食べたり飲んだりし、
自分の労苦に満足を見いだすこと。
そしてこれらは神の御手によるものらしい。
神から離れてはだれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。

神はみこころにかなう人に知恵と知識と喜びを与えられる。
だが罪人にはひたすら集め積むことを彼の務めとし、
それをみこころにかなう人と認めた人に与えられる。
これまたむなしく、風を追うようなことだ。
posted by FM at 16:46| 東京 ☀ | TrackBack(0) | Word | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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