2005年01月20日

「宗教=やっべえ」のはなぜだらう?

日本人の宗教への意識って、
「わけの分からないものを信じきって、いっちゃってる…。恐え〜。」
って感じだと思います。
よく分からない「信仰」と「宗教」を、私的考察。


注)
これはあくまでFM個人の私的な考え・洞察によるものです。
ほかの見方も当然存在します。私は各人の考えに正しい・間違いの
レッテルを貼るつもりはありません。
イチ☆意見として、こういう見方もあるのね、くらいにお読みください。

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私はクリスチャンです。
平たく言うと「神は存在しており、人間を愛している」という信仰を持ってます。
しかし「宗教」やってるとは思ってません。

「宗教」ということばから恐ろしさを感じる点は3つあります。

・わけが分からない。→真実かどうか不明
・頭から良いと信じきってる。→自分の頭で判断してるか不明
・いっちゃってる。→現実社会と折り合いがつけられない状況にある

つまり、一般的に「宗教」は、
「正しいかどうか分からないのに、自分でよく考えないうちに没頭し、
人々を現実世界から飛んでいかせるもの」
と定義されているように思います。

ですから神仏関係の団体じゃなくても、「宗教」は存在します。

・○○サイコー!と熱狂し、同じメンバーで固まって交流が少ない、
・ほかをなんとなく寄せ付けない雰囲気のグループ。
・「勧誘」があったりする

○○には人・モノ・神仏・企業・商品・団体・思想、何だって入ります。
(ここにキリスト教・イエス・神・教会が入ることも当然あります)

対して、信仰は確信です。そう私は思います。
信仰は、熱狂・妄信とは違うところに存在します。

「正しいものか真実か、自分の脳みそを使ってよく判断し、
これは信じるに足るものだと確信すること」

だと思います。非常に冷静なものです。

信仰は確信。それによって生活を変えるものではないでしょう。
確かに信仰の有無によって、自分の行動に多少の変化はおきます。
けれど、「信頼できるものを得た」だけのこと。
それまでの人間関係を一変させるものではないです。

私はクリスチャンじゃない友人のほうが多いです。信仰を持ってから、
同じ信仰を持つ友人が出来、日曜に行くところが出来ましたが、
信仰を持たない友人だって友人には変わりません。
私はただ自分が昔から抱いていた「疑問」の解き方、答え方を得ただけです。
ほかの人よりえらくなったわけでも、「選ばれた」わけでもありません。
クリスチャンだからといって、安らぎを得られ、
一切のわずらいから開放されてるわけじゃありません。
お守りを見つけたわけではありません。

たくさんの人が、何を信じて生きてゆけばいいのか
、無意識に探して生きていると思います。良いといわれたものに飛びついて、
頭から信じ込んだら、「宗教」に毒されるでしょう。

「宗教」ではなく、熟考して納得できる信頼に足るものを、
みんなが得られればいいな、と思います。


思うに

クリスチャンでも、たまぁに「とにかく信じろ」的な発言が出たりする。
確かに多くの人が救われてほしいと思うけど、やっぱり
「飲んだらやせる」薬みたいに、考えないで飛びついてほしくないなぁ。
と思うこの頃。
posted by FM at 11:21| 東京 ☀ | TrackBack(0) | faith | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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