2005年02月04日

『ハウルの動く城』私的考察6

ハウルは反戦メッセージを打ち出しているんでしょうか?
私は、ただ声高に「戦争はよくない!反対!反対!」してるわけじゃないと思います。

戦争は肯定的に捉えられていないとは思いますが、戦争の良し悪しよりも、
戦争の持つ意味は一体何なのか?を深く追求しているように思います。

というわけで、今回は『ハウルの動く城』にみる、戦争の捉え方について考察してみました。

超ネタバレです。

注)
これはあくまでFM個人の私的な考え・洞察によるものです。
ほかの見方も当然存在します。各人の考えに正しい・間違い
のレッテルを貼るつもりはありません。
イチ☆意見として、こういう見方もあるのね、くらいにお読みください。
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『ハウル…』における戦争の捉え方は各キャラクターによって異なります。
ここではハウル、ソフィー、サリハンの3名に注目して
それぞれがどう捉えているかをみてみたいと思います。


ハウルと戦争
ハウルは夜な夜な鳥になって戦火の中を飛び回っており、
戦争に興味があるようです。

しかし、国に加勢した同業者を非難する態度、
戦争への参加を逃げ続ける態度から、
戦争にはあまりいい印象はないようです。

ハウルにとって戦争は、自分の自由を奪うものです。
気ままに縛られずに生きたいのに、
召集されて大儀のために戦いを強いられる。
自身の自由を奪うものだからこそ、常に動向を探り
様子をうかがっているのでしょう。
ソフィーという守るべきものが出来てからは、
彼女を守るため積極的に戦います。

しかしハウルの「本当の敵」は、戦争相手の敵国ではありません。
彼は戦火の中で、戦争をさせようとするサリハンの手下と戦っています。
サリハンの手下は爆弾や戦闘機のお化けのようです。

ハウルは戦争をしたいのではなく、戦争に「化けてる」本当の敵、
自分の自由を奪うもの、守りたいものを傷つけるものに
対して戦いを挑んでいるのです。

多くの男性は、そういう理由で戦地に赴いているのではないでしょうか?


ソフィーと戦争
ソフィーは戦争に興味がありません。
市場で爆撃を目撃するとあわてて帰り、
町の人々が避難を始めてもハウルを待ちます。
荒地の魔女が新聞で戦況を読んでも家事に集中してます。

戦争はいやだという気持ちはあるのですが、景色と同じように、
動かしがたい事実のように受け入れてしまっています。

ハウルが自分を守るためなら、どんなに危険でも
戦いにいくのだと知ったとき、
彼女の行動は戦争をやめさせる方向へは向かわず、
ただハウルを戦線から救おうためにハウルを城で追いかけます。

彼女にとっては「自分の大切な人」を戦争から遠ざけることが、
戦争自体を終わらせることより重要なのです。

ソフィーにとっては戦争は変えられない事実で、
いやだけれども仕方がないもの。
変えられないものを変えるより、愛する人と家庭を
危険から防御するように行動しています。

女性は戦中如何に関わらず、そうやって家庭を守っているのでしょう。


サリハン・王宮と戦争
王宮は、感情や精神性が排除された、
「有益かどうか」、「正しいか悪か」
という基準の象徴です。

老いぼれのソフィーと荒地の魔女の階段のぼりには
手を貸さず、荒地の魔女を悪とし、罰(本来の姿に戻す)を与えますが、
精神的なケアはしません。自分の為に魔法を使ったハウルは、
国益の為に働かないため狙われます。

王宮では、益とならないもの、悪と判定されるものに対しては
非常に厳しい態度がとられます。

その中で力をもつサリハンは、常に冷静です。
ハウルを追っていますが熱さがなく、状況に振りまわされません。
「ひさしぶりにわくわくした」という発言から、
自分の感情を動かすような行動を、
いつもはしていないと分かります。

ソフィーの恋心に対しても馬鹿にするでもなく、
かといって情にほだされるわけでもなく、
王宮と彼女の基準である
「有益か否か」「善か悪か」
には関係のないものとして扱っています。

ソフィーは王宮をおかしいと思います。
ハウルはそこから逃げ出しました。
「有益か否か」「正しいか間違いか」
という冷静な基準だけで成り立つ王宮を、
主人公2人は認めていません。

ここから、「正誤」「有益無益」という判断基準だけで
判断することのおかしさを伝えているように思います。

このようなビジネスライクな価値観を持つ
サリハンと王宮は、戦争を操作する側の立場にいます。
映画の中ではどんな戦争なのかという説明は全くありませんが、
「国が危機にあり、皆が結束する必要がある」
というサリハンの説明から、王宮・サリハンにとって戦争は
「正しいこと」として捉えられているようです。

戦争は感情・情緒・精神性をまったく考慮せず、
ただ善悪と有益性のみが基準として成り立つ中でのみ
「正しく」「有益」であるということでしょう。

3者の立場より
王宮・サリハンの始めた戦争は、
ソフィーにとっては
自分の生活に関わらない以上興味のないもの
ハウルにとっては
本来戦いたい相手ではないものと戦う羽目になるもの
です。

正誤と有益性という基準で「正しく」「有益である」ものが、
人間が持っている感情・精神性の基準の中を通ると
まったく違う意味を持ってしまうということです。

ジブリは、反戦を訴えるというよりは、
戦争の持つ「目的のすりかわり」「矛盾」を
この映画では明らかにしているように思うのです。

「正しい」と思ってはじめたが、偏った見方ではないのか?
「正しい」戦争をしていても、本当に救われているのか?
ということを伝えていると思います。

サリハンは正義によってハウルを正そうとします。
しかし結果的にハウルを変えたのはソフィーの愛でした。
正しさを武器に人に対応しても、その人を救うことにはならないのです。

ラストでサリハンは、戦争を「ばかげた」と表現しています。
「正しさ」や「有益であること」が、国と人々を救わないのなら、
正しさを振り回さず、それぞれが本当に思ってること
(「戦争はばかげてるよね」)を、口に出してみようよ。
そういうメッセージではないでしょうか。

関連ページ
『ハウルの動く城』レビュー
ハウルの動く城』私的考察1
『ハウルの動く城』私的考察2
『ハウルの動く城』私的考察3
『ハウルの動く城』私的考察4
『ハウルの動く城』私的考察5
posted by FM at 15:18| 東京 ☀ | TrackBack(0) | Howl's Moving Castle | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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